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吉川晃司と布袋寅泰のユニット、COMPLEX。能登半島地震の復興・復旧のために再び「日本一心」を掲げた彼らが、10万人の同志たちと共に音楽で心をひとつにした東京ドーム2DAYS

COMPLEX 東京ドームLIVE 2024 ~日本一心~8月3日(土)午後7:00~WOWOWプライムで放送/WOWOWOオンデマンドで配信※放送・配信終了後~1カ月間アーカイブ配信あり 1988年12月に突如結成が発表されたユニット、COMPLEX。吉川晃司と布袋寅泰という類まれなふたつの個性は、眩い煌めきを放ちながら時に融合し時に激しくぶつかり合い、わずか2年弱で活動を停止した。21年の歳月を経た2011年7月30、31日。東日本大震災復興支援を目的として、彼らは東京ドームでチャリティ公演を開催。それは「自分たちに今出来ることは何か」を考え抜き、覚悟を決めた行動だった。  あれから13年。今年1月1日に起きた能登半島地震を受けて、彼らは再び「日本一心」を掲げ、5月15、16日に同地でチャリティライブを行った。2日間計10万人の大観衆で埋まった東京ドーム。場内が騒然とした空気に包まれる中、スクリーンに「20240515-16」「日本一心」「COMPLEX」という文字が浮かび上がる。ワーグナーの「ワルキューレの騎行」と共に過去のライブ映像が紡がれ、遂にその瞬間が訪れた。 国民的アンセム「BE MY BABY」のイントロが流れると、冒頭からテンションは最高潮だ。吉川が上手から、布袋が下手から登場し、13年振りの固い握手を交わす。演奏を通じて、お互いの歌声とギターの音色で確かめる。語り合うよりも、音楽は雄弁で屈強だ。外傷性白内障と診断され両目を手術したばかりの吉川が、エンディングでシンバルキックに挑み見事成功させる。秘めた決意が体を突き動かすのだろう。  「今夜、共に被災地へエールを」吉川が思いの丈を伝えた後に、続けて放たれたのはファーストアルバムのオープニングナンバー「PRETTY DOLL」。ヘヴィなリズムが心を揺らす「CRASH COMPLEXION」、布袋のギターリフが印象的な「NO MORE LIES」と続け、客席を更なる高揚に誘(いざな)う。一瞬の静寂をギターが引き裂くような「路地裏のVENUS」では、吉川がフライングVを抱えて、ゼマティスを握る布袋と並び立つ。味わい深いふたりのハモリと共に、彼らの“音の融合”が熱を帯びていく。 「被災地のために、俺たちの未来のために」布袋もまた思いを言葉に託す。極上のポップチューン「LOVE CHARADE」では、布袋が両手を上げてハートマークを贈り、観衆も“LOVE”を返す。吉川も歌いながら胸の前でハートを形作り、会場中が一体となってアウトロのコーラスを歌う。誰もが笑顔が素敵なひとときだった。  「2人のAnother Twillight」「MODERN VISION」「そんな君はほしくない」の3曲では、ハイブリッドな音像が変幻自在にその表情を変えていく。ここでは布袋の“匠”とも呼ぶべきサウンドプロデュースの奥深さと、広大な海を自由に泳ぐかのような吉川のダイナミックなステージングを存分に味わう。光と影を描いた「BLUE」、ブルージーな「Can‘t Stop The Silence」、屈指の名バラード「CRY FOR LOVE」。この3曲での吉川の歌唱もまた実に見事だった。艶やかさを失わずに、年輪と共にどこかスモーキーな味わいすら感じさせるヴォーカル。寄り添うような布袋のギターとコーラスには、盟友を慈しむ眼差しが確かにあった。 ベルリンの壁崩壊をモチーフにした「DRAGON CRIME」からインストゥルメンタル楽曲「HALF MOON」へ。布袋のスケールの大きなギターフレーズがドーム空間に木魂する。いまやHOTEIの名は世界に轟いている。その凄みに改めて感じ入った。二人を支えるバンドメンバーの演奏による「ROMANTICA」。湊雅史(D)、スティーヴエトウ(Per)、井上富雄(B)、奥野真哉(Key)、岸利至(Programming)の5人が奏でる幻想的なナンバーがラストスパートの始まりを告げる。プログレッシヴな「PROPAGANDA」、ストレートなロックナンバー「IMAGINE HEROES」、ハードロックテイストにあふれた「GOOD SAVAGE」と続き、ステージはクライマックスへと向かう。ふたりが織り成すギターセッションでは、男同士が互いの人生観をぶつけ合うかのようなスリリングな激しさに痺れた。 いよいよ本編は最後の2曲。代表曲「恋をとめないで」が場内のハートを着火させる。オーディエンスのシンガロングに、布袋は渾身のギターソロで、吉川は「東京ドームの夜だ」と叫び応える。「MAJESTIC BABY」では拳を突き上げ、「お前と一緒なら」のコール&レスポンスが続く。エンディングでまたもやシンバルキックに挑むところが、吉川の男気だと唸った。アンコール1曲目は「1990」。映像で刻まれていた数字は「1990」で始まり、最後は「2024」で終わった。過去、現在、未来。時の流れの中で紡がれていく誰もの人生を、力強く肯定した瞬間だった。アンコール最後は“表明曲”とも言える「RAMBLING MAN」。立ち止まらない二人への賞賛の拍手がいつまでも鳴り止まなかった。  二度目のアンコール。ファーストツアー以来の演奏となる「CLOCKWORK RUNNERS」は、当時バブルの喧騒を生きる者たちへの警鐘のようでもあったが、現代のデジタル社会にも繋がる普遍性を感じた。最後の曲は平和への願いを綴った「AFTER THE… Read More »吉川晃司と布袋寅泰のユニット、COMPLEX。能登半島地震の復興・復旧のために再び「日本一心」を掲げた彼らが、10万人の同志たちと共に音楽で心をひとつにした東京ドーム2DAYS

吉川晃司が太鼓判…パリ五輪で”水球・ポセイドンジャパン”が「世界でも10本の指に入る」と言えるワケ

学生時代はU-20日本代表にも選出された吉川晃司 7月26日に開幕するパリ五輪に向けてさまざまな応援イベントが各地で開催されているが、壮行会の中で多くの人に“意外性”を感じさせたのが、千葉県習志野市で行われた水球男子日本代表「ポセイドンジャパン」の壮行試合だろう。 昨年の9月に中国の杭州で行われたアジア大会では53年ぶりに金メダルを獲得し、アジア王者に輝いた水球男子日本代表を後押しするために、歌手で俳優の吉川晃司が今年5月に水球委員に就任し、選手のさまざまなサポートや広報活動に携わっている。 今年6月には、吉川自らが監督に就任したドリームチームと、ポセイドンジャパンによる壮行試合が開催され、満員の観衆が集った試合後に吉川は「今の日本代表は、世界でも10本の指に入る実力がある。決勝トーナメントにも残れると思うし、メダル獲得も夢ではない。 緊張せずに楽しみながら、全力で試合に臨んでほしい」とチームにエールを送ると、得点量産が期待される稲場悠介選手(ブルボンウォーターポロクラブ柏崎)も「パリ五輪では必ずベスト8に上がって、メダル獲得を目指したい。1日1日を無駄にせず、練習に取り組んでいきたい」と意欲を語った。 1984年2月に『モニカ』でデビューし、近年は俳優としての活躍や、5月に行われたCOMPLEXの2度目の再結成も注目を集めた吉川は、今年で芸能活動40周年を迎えたが、上京前は広島県屈指の難関校の修道高校に在籍し、水球に没頭する日々を過ごした。 デビュー当時は、人気歌番組『ザ・ベストテン』(TBS系)で、母校からの中継でプールに飛び込むといったパフォーマンスでお茶の間に存在感を示したこともあったが……。水球選手としての吉川は、高校時代の1981年と82年には全日本高校最優秀選手賞を獲得。U-20日本代表にも選出され、世界ジュニア選手権大会に出場した実績を持つほどで、その実力は折り紙つきだ。 ロス五輪は3連敗で、世界との差を痛感 吉川のデビューと同じ1984年にはロサンゼルス五輪が開催され、水球日本代表も本大会出場を果たした。もし、吉川が高校中退して芸能界入りの道を選ばなければ、選手として出場している可能性も有り得た大会だが、この時の水球日本代表の成績は、参加12カ国中11位。 ハンガリーやソビエト連邦(現、ロシア)といった水球の強豪国が不参加の大会で、日本代表は西ドイツ(当時、8-15)、オーストラリア(2―13)、イタリア(5-15)に3連敗。7-12位決定戦で、ブラジルに(9-8)で勝利を収めたものの、1勝4敗で大会を終えたという記録が残されている。 ロス五輪の水球日本代表の試合データや課題を分析した仙台大学紀要第17集によると、 「パスによる展開および中継プレー、退水獲得場面での得点能力、守備能力。並びにフィールド選手のボディコントロールや大型のGKを補強する必要があった」(1985、宮城進) とあり、当時の日本代表は世界の強豪国との差が顕著であったことが窺える。 ロス五輪後の日本代表は低迷期に突入し、五輪の出場権を掴むことができぬまま、32年の月日が流れた。 参考:仙台大学紀要第17集1985年(水球競技に おけるゲーム分析- 1984年ロサンゼルス・オリンピック大会の場合一宮城進) 日本人の長所を生かす「パスラインディフェンス」で8強入りを目指す 水球日本代表が再び五輪の舞台に戻ることができたのは、東京五輪の開催に向けて練習環境の改善や強化体制の拡充が進んだリオデジャネイロ五輪(2016年)のことだった。 アジア選手権(2015年12月)を制して五輪の出場を決めたポセイドンジャパンに、“元代表”の吉川が応援歌の『Over The Rainbow』を制作してエールを送った本大会では、強豪国のギリシャに試合終盤までリードを奪う健闘を見せたものの、残念ながら結果は5連敗。勝利を手にすることなく大会を去ることとなったが、世界との距離感や手応え、自国開催の東京五輪に向けての課題を浮き彫りにした。 その敗戦を糧にして、身長やフィジカル面の課題を克服するために取り入れた『パスラインディフェンス』に磨きをかけて挑んだ本番では、開幕4連敗と苦しい戦いを強いられたものの、南アフリカに大勝(24対9)して37年ぶりの勝利を掴み、10位で大会を終えた。 世界の強豪国との体格差を埋めるために、ゾーンで守るのではなく、相手のパスコースを消しながら、ボールを奪ったら速攻に転じる日本人選手の長所を生かす戦術に活路を見出したポセイドンジャパンは、チーム力をさらに高めていくこととなる。 2022年7月に行われたFINA世界選手権(ブタペスト)では、過去最高順位の9位を記録。2023年9月には中国を下して53年ぶりのアジア王者を手にして勢いに乗ったが、初の8強入りを目指して挑んだ世界水泳(2024年2月・ドーハ)では、セルビア、アメリカ、モンテネグロと強豪揃いのグループリーグで3連敗。順位決定戦で2連勝したものの結果は13位に終わり、3大会連続で出場権を掴んだ五輪での目標達成に向けて、難しさを思い知らされることになった。 「日本の水球は強い」 上位進出の条件は? チームを率いる吉川晃司と、壮行試合のために結成された元日本代表主将の志水祐介氏やロンドン五輪で金メダルを獲得したクロアチア代表のニクシャ・ドブド氏らによるドリームチーム、そして満員の観衆の声援を背にしたポセイドンジャパンのパリ五輪は、日本時間の7月27日に幕を開ける。 「日本の水球は強い。決勝トーナメントに行けるのは8チーム、そこまで行けばメダル獲得も見えてくる」(6月14日)と吉川晃司が太鼓判を押すポセイドンジャパンは、開催国のフランス、東京五輪金メダルのセルビア、銅メダルのハンガリーなどの6カ国が名を連ねるグループBに属し、主将の鈴木透生選手や、エースで得点量産が期待される稲場悠介選手らが一丸となって掲げるベスト8進出に向けて、グループ4位以内に入ることが求められる。 国立スポーツ科学センターで行っている合宿にも、吉川晃司氏は激励に訪れた。 「昔は水球選手で、選手としても五輪に出場してみたかったが、還暦が近い(現在58歳)のでやめた」(7月6日『THE MUSIC DAY 2024』)と、冗談を交えながらエールを送った吉川晃司がポセイドンジャパンに送った『Over The Rainbow』の渦中には、「君はゆく 見果てぬ夢を掴み取れ」とある。… Read More »吉川晃司が太鼓判…パリ五輪で”水球・ポセイドンジャパン”が「世界でも10本の指に入る」と言えるワケ

【心へのフォーカス ハービー・山口#9】わが家で撮影した吉川晃司 常に格好良く真っすぐに

被写体の「明日の幸せ」をそっと願って撮り続け、半世紀を超えた写真家のハービー・山口さんが、著名人を活写したカットを紹介。撮影秘話や心の交流を振り返る連載の第9回。    ×   ×    歌手で俳優の吉川晃司を長年撮影させてもらっている。家族ぐるみの付き合いも生まれた。2人で海外旅行をして印象に残ったのは、吉川の常に格好良く夢に向かって真っすぐに生きる姿だ。  1989年冬、民主化が急激に進む東欧を見に行かないかと吉川に誘われた。ギタリスト布袋寅泰と結成した「COMPLEX」の新曲に向けた歌詞を書くためだった。  ベルリンの壁が崩壊するさなかの西ベルリン、チェコスロバキア、ハンガリー、オーストリアを2人で旅した。西ベルリンでは現地の人にハンマーを借り、壁の破片をさらにたたき割ってみたことがある。  吉川は緊迫と混沌の世界を生き抜く思いを歌詞にしたためていた。帰国の航空機の中でも書いていた。こうして90年リリースのアルバム「ROMANTIC 1990」が誕生した。  激動の時代、現場の空気感を作品に取り込もうとし、真摯にアーティストとしての道を歩んでいた。公演会場の楽屋で、布袋が「吉川が実にいい歌詞を書いた」と私にそっと教えてくれた。  メール形式の恋愛小説を吉川がつづったCDブック「エンジェルチャイムが鳴る夜に」(2006年刊)に収めたカットは、実はわが家のリビングで撮影した。私の家族アルバムを広げ、生まれたばかりの頃の息子の写真を見ている。吉川は優しいまなざしを向けてくれた。  撮影が決まると1週間ほど前から体を絞り、フェースラインをシャープにして臨む吉川。たゆまぬ努力に裏打ちされ、進化していく姿から目が離せない。 【略歴】ハービー・山口 1950年東京都生まれ。写真家を目指し、73年から約10年間ロンドンで過ごした。帰国後は著名アーティストや市井の人々にレンズを向け、優しいトーンのモノクロ作品は多くのファンを持つ。ラジオ番組のパーソナリティーとしても活躍。

吉川晃司、自身の身に起きた“異変”を初告白。体の違和感で発覚…手術を受けることに

3月1日(金)の『徹子の部屋』に、吉川晃司が登場する。 シンガー、俳優として唯一無二の魅力を放ち続ける吉川。今回は自身の身に起きたある異変を番組で初告白する。 昨年から今年にかけて体のある部分に違和感があった。診察を受けたところ、あることが発覚し手術を受けることになったのだそう。 一体何が起きたのか、その経緯を聞く。 今年デビュー40周年を迎えた吉川。 黒柳徹子との付き合いも長く、思い出話に花が咲く。 『徹子の部屋』初登場は19歳のとき。初々しさが残る貴重な映像に苦笑する場面も。 私生活がなかなか見えない吉川だが、約30年自宅で大切に飼っているあるものについても特別に紹介する。