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吉川晃司が太鼓判…パリ五輪で”水球・ポセイドンジャパン”が「世界でも10本の指に入る」と言えるワケ

学生時代はU-20日本代表にも選出された吉川晃司

7月26日に開幕するパリ五輪に向けてさまざまな応援イベントが各地で開催されているが、壮行会の中で多くの人に“意外性”を感じさせたのが、千葉県習志野市で行われた水球男子日本代表「ポセイドンジャパン」の壮行試合だろう。

昨年の9月に中国の杭州で行われたアジア大会では53年ぶりに金メダルを獲得し、アジア王者に輝いた水球男子日本代表を後押しするために、歌手で俳優の吉川晃司が今年5月に水球委員に就任し、選手のさまざまなサポートや広報活動に携わっている。 今年6月には、吉川自らが監督に就任したドリームチームと、ポセイドンジャパンによる壮行試合が開催され、満員の観衆が集った試合後に吉川は「今の日本代表は、世界でも10本の指に入る実力がある。決勝トーナメントにも残れると思うし、メダル獲得も夢ではない。 緊張せずに楽しみながら、全力で試合に臨んでほしい」とチームにエールを送ると、得点量産が期待される稲場悠介選手(ブルボンウォーターポロクラブ柏崎)も「パリ五輪では必ずベスト8に上がって、メダル獲得を目指したい。1日1日を無駄にせず、練習に取り組んでいきたい」と意欲を語った。 1984年2月に『モニカ』でデビューし、近年は俳優としての活躍や、5月に行われたCOMPLEXの2度目の再結成も注目を集めた吉川は、今年で芸能活動40周年を迎えたが、上京前は広島県屈指の難関校の修道高校に在籍し、水球に没頭する日々を過ごした。 デビュー当時は、人気歌番組『ザ・ベストテン』(TBS系)で、母校からの中継でプールに飛び込むといったパフォーマンスでお茶の間に存在感を示したこともあったが……。水球選手としての吉川は、高校時代の1981年と82年には全日本高校最優秀選手賞を獲得。U-20日本代表にも選出され、世界ジュニア選手権大会に出場した実績を持つほどで、その実力は折り紙つきだ。

ロス五輪は3連敗で、世界との差を痛感

吉川のデビューと同じ1984年にはロサンゼルス五輪が開催され、水球日本代表も本大会出場を果たした。もし、吉川が高校中退して芸能界入りの道を選ばなければ、選手として出場している可能性も有り得た大会だが、この時の水球日本代表の成績は、参加12カ国中11位。 ハンガリーやソビエト連邦(現、ロシア)といった水球の強豪国が不参加の大会で、日本代表は西ドイツ(当時、8-15)、オーストラリア(2―13)、イタリア(5-15)に3連敗。7-12位決定戦で、ブラジルに(9-8)で勝利を収めたものの、1勝4敗で大会を終えたという記録が残されている。 ロス五輪の水球日本代表の試合データや課題を分析した仙台大学紀要第17集によると、 「パスによる展開および中継プレー、退水獲得場面での得点能力、守備能力。並びにフィールド選手のボディコントロールや大型のGKを補強する必要があった」(1985、宮城進) とあり、当時の日本代表は世界の強豪国との差が顕著であったことが窺える。 ロス五輪後の日本代表は低迷期に突入し、五輪の出場権を掴むことができぬまま、32年の月日が流れた。 参考:仙台大学紀要第17集1985年(水球競技に おけるゲーム分析- 1984年ロサンゼルス・オリンピック大会の場合一宮城進)

日本人の長所を生かす「パスラインディフェンス」で8強入りを目指す

水球日本代表が再び五輪の舞台に戻ることができたのは、東京五輪の開催に向けて練習環境の改善や強化体制の拡充が進んだリオデジャネイロ五輪(2016年)のことだった。 アジア選手権(2015年12月)を制して五輪の出場を決めたポセイドンジャパンに、“元代表”の吉川が応援歌の『Over The Rainbow』を制作してエールを送った本大会では、強豪国のギリシャに試合終盤までリードを奪う健闘を見せたものの、残念ながら結果は5連敗。勝利を手にすることなく大会を去ることとなったが、世界との距離感や手応え、自国開催の東京五輪に向けての課題を浮き彫りにした。 その敗戦を糧にして、身長やフィジカル面の課題を克服するために取り入れた『パスラインディフェンス』に磨きをかけて挑んだ本番では、開幕4連敗と苦しい戦いを強いられたものの、南アフリカに大勝(24対9)して37年ぶりの勝利を掴み、10位で大会を終えた。 世界の強豪国との体格差を埋めるために、ゾーンで守るのではなく、相手のパスコースを消しながら、ボールを奪ったら速攻に転じる日本人選手の長所を生かす戦術に活路を見出したポセイドンジャパンは、チーム力をさらに高めていくこととなる。 2022年7月に行われたFINA世界選手権(ブタペスト)では、過去最高順位の9位を記録。2023年9月には中国を下して53年ぶりのアジア王者を手にして勢いに乗ったが、初の8強入りを目指して挑んだ世界水泳(2024年2月・ドーハ)では、セルビア、アメリカ、モンテネグロと強豪揃いのグループリーグで3連敗。順位決定戦で2連勝したものの結果は13位に終わり、3大会連続で出場権を掴んだ五輪での目標達成に向けて、難しさを思い知らされることになった。

「日本の水球は強い」 上位進出の条件は?

チームを率いる吉川晃司と、壮行試合のために結成された元日本代表主将の志水祐介氏やロンドン五輪で金メダルを獲得したクロアチア代表のニクシャ・ドブド氏らによるドリームチーム、そして満員の観衆の声援を背にしたポセイドンジャパンのパリ五輪は、日本時間の7月27日に幕を開ける。

「日本の水球は強い。決勝トーナメントに行けるのは8チーム、そこまで行けばメダル獲得も見えてくる」(6月14日)と吉川晃司が太鼓判を押すポセイドンジャパンは、開催国のフランス、東京五輪金メダルのセルビア、銅メダルのハンガリーなどの6カ国が名を連ねるグループBに属し、主将の鈴木透生選手や、エースで得点量産が期待される稲場悠介選手らが一丸となって掲げるベスト8進出に向けて、グループ4位以内に入ることが求められる。 国立スポーツ科学センターで行っている合宿にも、吉川晃司氏は激励に訪れた。 「昔は水球選手で、選手としても五輪に出場してみたかったが、還暦が近い(現在58歳)のでやめた」(7月6日『THE MUSIC DAY 2024』)と、冗談を交えながらエールを送った吉川晃司がポセイドンジャパンに送った『Over The Rainbow』の渦中には、「君はゆく 見果てぬ夢を掴み取れ」とある。 参加5カ国中4位だった1932年ロス五輪を除いて、過去最高順位の東京五輪(10位)を上回ることができるのか。2011年に「水中で力強く躍動してほしい」という願いを込めて命名されたポセイドンジャパンの戦いぶりに注目したい。

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